2005年06月23日

差別と偏見!!

 今回ある小女の自殺から、差別と偏見を考えたい!
 先ずは、A子さんが、居た地域は当時村を二分するほど大きな問題を、抱えていた。それは、宇検村の「枝手久島」への「石油備蓄基地建設・反対・賛成」と大きく揺れていた。問題はエスカレートし、「愚民会議」に発展し、当時のマスコミを賑わせていた。それに都会から若者が「久志集落」に来島いたし、生活共同体「無我利」道場をつくり、基地建設反対のために、生活共同体を始めた。では、学校の現場と教育関係は、どうであったか?考えたい。先ずは学校で人権教育はいかされていたのか?確か36名の小規模学校(小・中)での事件である。先生方は、A子さんが「いじめにあっている」シグナルをキャッチしていたのか?では「子どもの権利と同和教育」に関して少し触れてみたい。

 同和教育は、日本の典型的な人権侵害である部落差別をなくす為に取り組まれてきた教育です。反差別の教育としての人権教育の担い手として、歴史的にも組織的にも中心的な存在でありつづけてきた同和教育も・・・しかし子どもの権利条約を貫いている子ども観と子どもの権利を保障するための条件をねばり強く追求することによって、同和教育はさまざまな人権教育と結んで大きく飛躍し、文字どおり日本の教育を貫く柱として確立していくに違いありません。
 さて、同和教育は「差別の現実から深く学ぶ」ことを、なによりも大切にして進められてきました。そして差別に負けず、差別を許さない力をもった子どもに育てることをめざして営まれてきました。条約第二条のある「差別の禁止」は、同和教育の中心命題だといえるのです。子どもの人権を徹底して保障すること、自分の生活を語り社会的立場や生き方を明らかにすること、そして部落差別の不当性を仲間に訴えることは、まさに子どもの権利条約に流れている思想「子どもの最高の利益、権利の行使の主体としての意思表明など」と重なります。

 では学校では、教育委員会から「文部行政」の取り組みは、どうであったか?考えさせられる。何故そこまでA子さんを「自殺」に追いこんだのか?「学校の閉鎖性・それを補完」するための管理主義にあるということである。それが理由になるのか?

 例として「ハンセン病」の差別を一例紹介します。1922年3月25・26日に大分県別府市で起こっています。皇族の九州旅行に際し、「日豊線を通る殿下の御目が汚れる」という理由で、*サンカと呼ばれた被差別民の家々(ハンセン病者も含まれていた)を一方的に警察が焼き払ったのです。これを救済しようとした浄土真宗僧侶・篠崎蓮乗が、最終的に犯罪に追い込まれ自殺にいたる、という悲惨な事件でした。この二つの事件を考えるときに、何故そこまで、追いつめられたたか?考える余地は?社会教育における人権教育の現状を、私たちが、十分にとらえ返しながら、各地で取り組んでいく必要が、あるのではないのでしょうか?




 話は変わりますが!奄美和光園の「和光塾」を紹介します。

 今年四月十七日「ハンセン病への理解」を!「和光塾」が開講し、年二回の収穫祭を行うと、マスコミで大々的に宣伝し、全国的に名が知れた!その収穫祭が七月九日園内で行われる。
 マスコミは何故正しいニュースを伝えないか?いかに園全体が取り組んでいるかのように宣伝している。「交流は全国的にも珍しい試みとして、昨年から始まった。農作業が縁で、入所者の家にもお茶に呼ばれたり野菜をもらったりする親子もいると言う。同塾の同市教育課のM生涯学習課長は「偏見・・・本当の交流が生まれつつある」と話している。「開講式」では!!
 では「収穫祭」の「バーベキュー」のプログラムを読んでおどろいた。関係者総数八二名「園内は入所者&職員数二〇名になっている」?何故だ、入所者数六十六名の園に六十二名の関係者が来るのは??またいつものM課長のパフォーマンスか?入所者に垣根はいらないのでは?全ての入所者に声を掛けるる必要はなかったのか?では「生涯学習」とは、いったい、何を学ぶか問いたい。

 「生涯学習としての人権学習」に触れてみたい。人権教育のための国連10年」にも明らかにされていますが、人権教育は、実は生涯学習であります。私たちもそれに基づいて、積極的に生涯学習としての人権教育という立場で推進していく必要がると考えています。国連およびユネスコは、教育を基本的な人権としてとらえています。この生涯教育政策も、人権保障の理念と深く結びついて展開されています。
 ユネスコの「人権教育とは、一人ひとりが人と人、人と自然との関係者を育て、自分を発展し、文化を創造する主体的行為を亭受する営みであって、外から結論を強制されるべきものではない」という指摘があります。そういう立場で、人権教育を生涯教育と位置付け手取り組んでいく原理を考えます。
 「自分さがし」というのは「自己のアィデンティティ」自分が自分であるということを確立することを、人としての尊厳と権利を自覚して、権利と自由についてのさまざまな知識を吸収し、他の人々の経験と豊かな交流をしていく、そしてかえがえのない自分に即した人権認識とその展開や修正が不可欠なものと考えられています。つまり、自分を確立することと人権学習はぴったり結びついていると言う立場ではないでしようか?
 今回「教育委員会生涯学習課」はプログラムを園に押し付けている。それでは真の交流の和?構築されないと思うのは、小生だけでしようか?・・・

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*サンカは、「サンカの移住と類似名称」山家・山高・山稼・散家ともいう。山野・山間や水辺の生活の場を持ち、漂白する非農耕民。岩の窪みに住むことから山嵩ともかかれるが、村里近くの河原、雑木林に住み、定住せず、バラバラにいるので散家とも言う・・


posted by Moriyama Kazutaka at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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