2005年06月05日

田中一村と奄美和光園

田中一村の住居は、和光園と目と鼻先の民家で、一人創作に励んでいたと、伺う。
小生も一人で近隣の大熊集落の紬工場に通っている。一村さんを観た覚えもあるが、一村先生と和光園は深いつながりがある。先ずは、日本のハンセン病の医師として、有名な、小笠原登先生「真宗住職」の資格を持ち園内で、仏の教えもしていたとも聞かされている。
小笠原登先生は一九五七年(昭和三二年)奄美和光園に就任・その後に現在大島寺の住職のFさん・それに、田中一村先生のアングル関係が始まる。一村先生・F住職は、ハンセン病は、怖くない病気であると、教えを受け、園内に入り込み、入所者の家に上がりこみ、お茶を頂きながら、当時カメラの時代は未だ園?そこで一村先生は、多くの入園者の「肖像画」を描いた。同じくF住職も未だ園までの、道路が悪く、山越えで、園まで来る。三人の先生は、何を話題に、雑談致したかは、未だ健在のF住職に伺ったら、面白い、エピソードも聞かれるかも知れない。ただ残念ながら、昔の一村先生の住居後はない、現在は、近くの集落に移動され、日々観光客が訪れている。さらに小笠原登先生が一九六六年(昭和41年)高血圧?)で倒れ和光園を去る。同所退職(10月)最後に小笠原先生・田中一村先生・F住職は、「ハンセン病」対し全くの偏見と差別は、持ち合わせていなかっただろう?小生も近い内映画鑑賞に行く事にする。今は偉大なる二人の先生に対し、今はただ・・(合掌)                           「奄美群島日本復帰50周年記念映画」
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
貞明皇后って何故そこまで敬うのでしょうか、敬愛園でも彼女の歌碑があり、その建設で強制労働にかり出され手・指・足を無くされた方々を多く知ってます。ソロクトの学習会が西本願寺別院で実施されました。22日には敬愛園に徳田弁護士がきてくれます。
Posted by 隠塚しょうりょう at 2005年07月12日 19:45
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