名瀬市の国有林・金作原の保護運動を提唱するなどの奄美の自然保護運動に先鞭(せんべん)をつけた同市出身の彫刻家、基俊太郎(もとい・しゅんたろう)氏が二日午後七時五十分、埼玉県秩父郡横瀬町横瀬三四〇三の自宅で亡くなった。八十一歳だった。告別式は四日午後三時半から同横瀬三五三七の東林寺で営まれる。喪主は妻の俊子(としこ)さん。本日の南海日日新聞を、読んで、園関係者は、勿論入所者も、そのまま目を通して、読み流したと思うので、一言!
基氏は一九四二年(大正十三年)生まれ。東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科を卒業後、同科助手として彫刻のかたわら造園、建築、家具の研究を始める。芸大を辞した後に渡米し、ハーバード大学造園科で論文「空間の概念と形式について」発表。(財)禄山
美術館顧問。
六十七年以降、郷土の自然と人文にも関心を持たち、金作原の保護など奄美での主な制作には輸血用の血液輸送で墜落した自衛隊の慰霊碑「くれないの塔」(六十三年、名市)、国立療養所奄美和光園納骨堂(同)、昇曙夢記念公園(七十五年、瀬戸内町)などがある。
地元新聞(南海日日)が伝える。
先ずは、小生のホームページの「写真館」を開いて見てもらいたい。そこで、有名な彫刻者作成「納骨堂」の写真と「階段」の写真が、載せてある。小生みたいな素人にも、解る様な「設計」になっているのは、だれか気づいた人はいますか?小生は園内で「保存の価値」ありと書いていますが?施設側の考えは?特に事務部方のAさん、詳しく知っているのでは、他の園では「資料館」設立で予算要求いたしていますが?現在園の自治会は休会中であるが?ただただ傍観し、時間の通り過ぎるのを、待つのですかね?本省の「疾病課」が、調査に来たと、伺っているが?中身は?自治会に知らされているのか?将来どの様な形で、あの歴史的な、一体を?施設幹部は視察する事は、必要だと小生は考える所です。これまでの先人達の霊に対して!!・・

