付紀
要請書の趣旨は以上の通り明確であり、解説を必要としませんが、この祭、解剖に関しては付け加え、もう少し問題提起することにします。
ハンセン病療養所ではかって解剖が自由に行えたので若い医師がどんどん来た、といわれる向きがあります。それでは、現在の医師不足は解剖が好きに行えないからでしょうか。一部の園では、今でも解剖を全く行っていないわけではありません。だからといって、優秀なお医者さんがどんどん来ている、といえるのですかどうですか。それは次元の違う問題です。「要請書」のなかでも「解剖がすべて駄目という理由は成りたたないにせよ」と、闇雲に反対すべきではないとしています。けれども、白内障の手術など眼科は別に、盲腸などはじめ、手術は殆んど行われいないにも関わらず解剖が行われているところが、どうしてそんなに解剖に執着し、解剖には熱心なのか、入所者感情からすればどうしても理解できない、ということになります。
もともとハンセン病療養所は隔離撲滅政策の拠点であり、治す医療が二の次であった過去の影響が今でも残っている、といことでしょうか。
大きな園と小さな園に限らず、そんな立派な研究設備があったとはいえません。それなのに、何を研究してきたのでしよう。そのことは、第17回検証会議の際、奄美和光園の証言者も述べていました。
解剖が行われると、その都度、臓器などが外部へ搬出されていたところがあったようです。正当な手続きに基づき、研究の結果が報告されていたケースがあったかも知れません。それとも別のものが見返りになっていた、という例もあったのではないでしょうか。その疑問符まだ打ち消されているとは限りません。
また、解剖を行ったあとの空洞に何を詰め込み、修復の糸目がどんなに粗雑であったかなど、すべての施設でそうだったとはいえないまでも、入所者であったら、誰しも見るにしのびない状況もあったはずです。
生きている者たちに人権があると同様、死者たにも人権があるにきまっていますが、彼らは口が開けません。非公開のプロジェクトによるとはいえ、検証会議に期待する所以であり、生きている者たちの役割りもそこにあるといえるでしょう。彼らのことを記憶し、或いは祈り、語り伝えていくことが大切です。・・・
*この文章を読む限り全療協は裁判当初は傍観に近い状態ではなかったでしようか?また「事務局長は検証委員として、この問題にどれだけの発言をしてきたか、或いは、今後残された、問題等は「ハンセン病市民学会」の中で論議されるのでしょうか?
このままでは「検証会議」冊子は、何を何処に発信するのか、理解しがたい。 (森田隆二)

