2005年08月30日

本日で小生の今年の健康診断全て終わる!!

?a?@本日大島県立病院にて最後の検査「MRI」の検査受診!!
 
現在園内にては、看護科の方で年二回の定期健康診断が行なわれている!
しかし園に出来ない検査は外部委託先の病院で行なう!私は比較的検査類は好きなタイプである。八月には、「胃カメラ・大腸ファイバー」検査終わり、本日「MRI」の検査を受診いたしました。CT等は園内でいつでも取れます。

 さて今後各園のハンセン病医療の充実は一朝一夕では、進まないのが現実である。
それに最近、全療協は「対厚生労動省間」の協議で「プライマリーケアー」の言葉が、目だって出で来ている。そのような中で名前そのものを理解すると「初期医療、一次医療」の役割のドクターである。なれば当園にも、本省から、副園長が七月一日から「内科医」として勤務されている。
 内科医でもっとも入所者からの期待は大である。名目は「プライマリーケアー」の医師で来ているが、未だ歳も四十九歳とバリバリの医師であるので、今後の診療に期待する所である。
小生は大の検査好きと手術も好きなタイプである。それで、自己申告で毎年全ての検査を行っている次第です。今日が今年最後の「MRI」検査を行なった。医師から、特に問題なしの説明を受ける!これで今年も全て検査いたし異常なしの検査結果で出たわけである。

これも当園の「医師の診断」それに看護科と旨く連携いたし、入所者の一人ひとりの健康が維持出来ている事である。またこの四月から医師定員三名勤務できるか不安もあったが幸いに医師三名の定員が、そろい入所者の健康が維持されている事に感謝する所である。

それに今年になって天国へ召された方が一名の数字も看護科の手厚い「看護・介護」のお陰である!(感謝)
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2005年08月29日

奄美和光園の将来構想委検討委員会委員決まる!

?a?@奄美和光園の将来構想検討委員会委員のメンバー決まる!
過日名瀬市役所内で「奄美和光園の将来構想委員会が開催されたことはHPで発信いたしましたが、本日それぞれの代表名を知らせます。  
  
   氏 名       所 属 等           備 考

1) 平安 正盛    大島郡町村会長         新

2) 川上  勝    名瀬市議会議長         新

3) 作田 和廣    名瀬市議会議員         新

4) 富加見 章    名瀬保険所長 

5) 喜入  昭    大島郡医師会長         新

6) 益田 正隆    名瀬市医師会長  

7) 小代 正隆    県立大島病院長            

8) 風間 正美    学識経験者

9) 築  愛三    学識経験者           委員長

10)喜入  厚    施設長

11)岡山 光樹    名瀬市社会福祉協議会長

12)里島光一郎    名瀬市身体障害者教会会長

13)作田 隆義    前奄美和光園自治会長

14)浜田龍太郎    名瀬市助役           福委員長

15)中山 成樹    名瀬市市民福祉部長       新

16)前川 嘉洋    奄美和光園園長         新・参与

 
 以上16名の委員で今後の奄美和光園の将来構想検討委員会が、スタート致しました。

最後に市内でいち早く立ち上げた「奄美和光園と共に歩む会」の意見等も聞く必要はないのだろうか?市民レベルの会であるし、先輩である。市内で立ち上がった会としては??

           
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2005年08月25日

「差別、偏見のない社会を」

親子で和光園訪問!

施設見学、入所者と交流!!


 県保健福祉部健康増進課は二十四日、名瀬市の国立療養所「奄美和光園」(前川嘉洋園長)で親子療養所訪問事業を実施した。親子連れなど二十八人の参加者は、施設見学や入所者との交流を通じてハンセン病に関する理解を深めるとともに、差別や偏見のない社会ついて思いを巡らせた。
ハンセン病に理解を深める!

 ???s?@二〇〇二年度に始まって今年で四回目の事業は、ハンセン病に関する正しい知識の普及啓発を進め、元ハンセン病患者に対する差別や偏見の解消を図るのが目的。九日には鹿屋星塚敬愛園でも実施された。
 午後一時五十分から開会式あり、前川園長があいさつで「これを契機にハンセン病に対する啓発運動にご協力を」などと参加者に呼び掛けた。
 施設見学では園内にかって存在した朝日小学校双葉分校跡などを見学。納骨堂では献花と焼
香を行い、国の誤った政策で不当な差別と偏見に苦しめられ亡くなった人々の魂の平安を祈った。
その後、入所者と交流がり、男性入所者(83)が「恐ろしい病気とのイメージを植え付けたらい予防法を長年放置した国の誤っていた。ハンセン病を正しく理解し、みんなが共に手を取り合って生活できる、偏見や差別のない社会になるよう願っています」などと語った。
 参加者は自己紹介を行なった後、グループごとに入所者と交流。療養所に強制収容された当時の様子を聞いたり、現在の療養所生活の暮らし振りについて質問するなどした。参加した子供たちも、熱心に耳を傾けていた。

私見を少し述べさて頂きますが!自治会がないまま現在は不自由者会員を一同に集め今後もこのような催事が、行なわれると思いますが?何名の会員が交流できたか疑問が残る。
それにマスコミ等には、現在全国ハンセン病療養所入所者協議会では、「元患者」の呼称は使われていないのを理解されていない。現在全療協では、「入所者」と「退所者」と使い分けている。合わせて職員も気が付いていないので、今後ハンセン病元患者の呼称を改めて頂きたい!   *記事は地元新聞「南海日日」が伝える。
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2005年08月23日

バトミントンクラブ解散式!

?T?b?J?[昨日午後七時から、市内の居酒屋で和光園バトミントンクラブの解散式&慰労会を行なう!

 過日バトミントンクラブの総会が開かれ、賛成多数でクラブ解散決まる!
近いうちに、皆で慰労会兼ねて解散式を行なうことで、昨日多数の会員が参加し、慰労会が市内の居酒屋で行なわれた。先ず元会長から、説明があり、今後はバトミントン同好会を作り、好きな人だけで取りあえず、身体を動かし汗を掻くのが、モットーでバトミントンを続ける事を確認した。

未だ役員等は決まっていない。今後同好会の中で協議されると思う!それにしても多数の会員が集まったが、やはり女性が多かった!今後は女性なしでは、何も出来ないことが確認できた。
それに女性会長から、男子クラブ員に男性がリードしてクラブをひぱって貰いたいとハッパ掛けられていた!

最近の世の動向でも男女平等で、女性が上昇ブーム到来だ!!おりしも衆議院選公示前だ!
最後にに会長他元役員の皆様ご苦労さまでした。今後も指導的な立場でアドバイスを期待する!
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メール友帰京する!

一作日から、奄美入りしたメール友昨日帰京する!

 東京から久しぶりに来客(メール友)が来園いたし、交流を深めた。今回は私の面会で観光は後回しになった!ごめんなさいね!
本来なら、最低二泊三日いりますので!皆さん覚えていて下さい。
私も時計とにらめこ、しながらのの観光ガイドもそこそこでした。昔取ったきねずかでガイドは、ある程度できますが?今回は一泊二日と時間が限られ、最低限の観光しか出来なかった。
今度来る時は、せめて二泊三日にして下さい。
でも確かに交流は出来た。奄美和光園の将来は??私は立ち枯れ政策と伝えました。
後は全療協&弁護団が進めていくのではと話しました。
園の「将来構想問題」に、会員は意識は持ち合わせていないことを告げて別れました!
 Aさんお疲れさんでした!またの再会を!
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2005年08月21日

メール友遠方より来園!

本日メール友のAさんが、朝東京〜来園する。???s?@

 午前中に奄美空港まで、迎えに行く!途中昼飯を愚妻と三人で取る。
それから、小生の自宅で休憩いたし、その後に園内を見学し、夕方ホテルに送り届ける。
 また7時過ぎに、知人の鶏飯店に夕食の為に行く。まー奄美に来たら一度は鶏飯を食べないと、話にならない事を説明する。
明日は午後から、東京に帰るので、午前中に園内を見学いたし、残り時間を紬村に案内する予定である。
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精神障害者共同作業所研究!

八月十六日〜二十日まで、五日間「精神障害者共同作業所」&回復者の就労をめぐる医療社会学研究の為、来島致していた。「近藤功行教授」他二名の先生方は、本日与論島組みと、仙台に別れ帰途致しました。
小生も新聞記者と共に、知名瀬「明かりの家」に通い、ハンセン病の差別と偏見等の違いを兼ねて、共同研究の末席にて、ハンセン病快復者と精神障害者の回復者の就労等を別な角度から見てみたい。
ハンセン病古来から怖い伝染病と国民に植え付けられ、いまだに社会の片隅でひっそりと生活いたしている方もいる。
 それに元精神回復者と言っても、世間は簡単に差別と偏見は一朝一夕では理解していただけない!何時何をするか、解らないので?怖いと言うイメージが定着いたし、社会復帰の道を閉ざしている。
 同様にハンセン病快復者も同じような、捕らえ方の人が、多いのでは?それに最近は、精神障害者の作業には、ジョブコーチが、付いているので、ある程度の仕事は任せるよう認めてもらいたい。
幸い「明かりの家」にも、ジョブコーチの役割致している、指導員の元で、精神障害者の回復者と共に汗を掻いている!
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2005年08月19日

奄美で精神障害者の就労調査!

奄美で精神障害者の就労環境などを調査している沖縄キリスト教学院大学人文学部の近藤功行教授(医療福祉学)と東北大学大学院教育学研究科の安保英勇教授(心理学)が十八日、南海日日新聞社を訪れ、調査目的などを語った。
 研究は今年からの二年計画で調査は十六日〜二十日までの五日間。一行は名瀬市の精神障害者小規模作業所「明かりの家」(恵川龍一朗所長)中心に調査を進めている。
 近藤教授によると、鹿児島県は障害者の法定雇用率が全国平均を上回る先進県だが、「高い雇用率を保つには算定に含まれない精神障害者の就労促進がが課題になる。企業努力はもちろん医療、行政、教育関係者双方への啓発がこれまで以上に必要」と指摘。民間非営利活動「NPO」が運営する同所の活動に着目し、雇用対策などに付いて提言したいと述べた。
八月十九日「南海日日新聞」が伝える。
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奄美和光園「60年の記憶」

【上】

戦争と隔離生活 過酷な時代の二重苦  閉ざされた時代

  戦後60年、二度と戦争の悲劇をくり返さないとの強い決意の下に、平和や一人ひとりの命の尊さを見つめてきたはずの私たちは、一方で「戦後復興」の闇に隠されるようにして、"人間性"を奪われた人々の存在に、十分に目を受け、共感し寄り添うことがなかった。社会から隔離され、誤った国策によって強化された差別や偏見の中を生きてきたハンセン病元患者たち。名瀬市の国立療養所・奄美和光園に暮らす人々の"生"を通して、人が「生きる」ことの一端を見つめる。

  旧三方村の緑深き山に抱かれた和光園。穏やかな時間が流れる現在の園の姿から、園や入所者が下手過酷な歴史をしのぶことは難しい。
  第二次世界大戦が激しさを増す1943(昭和18)年2月、地元・有屋集落を中心とした住民の激しい反対を経て、園舎(14棟・延359坪)が竣工した。44年3月に入所者19人で開園式が挙行されたが、戦争末期を迎えると、園にも機銃掃射や焼夷弾落下など直接的な戦火が及ぶようになる。入所者は防空ごうや疎開小屋で避難生活を送り、病棟には重症者とその付き添いや警備をする入所者など数人を残すのみとなった。
  45年6月10日には、病棟見張り中の職員が機銃弾の直撃を受け、空襲による園内唯一の犠牲者が出ている。当時の入所者・Aさんは和光園の『創立三十周年誌』の中で、「機銃の弾は病棟の屋根を貫き、私の隠れていたベッドの足を斜に貫通して床下に抜けてありました。敵機の去った後、病棟は屋根に五カ所の大きな穴があき、窓ガラスや屋根瓦の破片で床は脚の踏み場もないほどでした」と空襲の激しさを伝えている。
  終戦、二・二宣言を経た1947(昭和22)年2月10日、琉球列島司令官名で「らい患者強制隔離告」(軍政府特別布告第十三号)が出され、同14日には奄美大島に対して強制収容命令が発せられた。発令直後、名瀬、龍郷、笠利などを皮切りに群島内各地からの強制収容が始まり、和光園の入所者数は当初の収容定数100床を大きく上回る165人に達した。
  同年三月、与論、沖永良部、徳之島の患者とともに貨客船「金戸丸」に乗り和光園に収容されたOさんの目には、一面が水田だった当時の有屋集落の風景画焼きついている。集落と園の間で「患者輸送車は集落内を通らせない」との契約があり、患者たちは二キロに及ぶあぜ道を歩いて園を目指した。
  たどり着いた園は、事務本館や倉庫、職員寮まですべての建物が患者の居住棟として使われていた。何の受け入れ準備もなく、集めて押し込んだだけ。隔離のための収容所だったとはっきり言える」とOさんは話す。
  特別な設備もない居住棟の土間で外科治療が行われ、破れた板戸の向こうから、亡くなった患者の解剖内容を説明する医師の声が聞こえてくる。患者の遺体は入所者らが「露天焼き」(火葬)にする―。それが「療養所」の実態だった。
  入所者らは炊事や農作業に加え、燃料(まき)調達、清掃、風呂焚きなど生活全般を自らまかない、看護師代りとなって注射器の消毒やカルテ記入なども担った。47年に入所したEさんは「看護師数人と専門外の医師が一人いただけ。大楓子油注射(当時の治療薬)もなく、ハンセン病に関係ない皮下注射を打つ慰め的な治療しかなかった」と当時の医療の劣悪さを指摘する。
  現在のような療養慰安金の給付はなく、入所者の中には自由に使える収入を得るため、「労務外出」と呼ばれた建設作業などに従事し園外に通う人もいた。こうした作業で身体を酷使したことが、新薬プロミンの導入でハンセン病が完治するようになった後も残る後遺症を生んだ。

  47年9月には沖縄愛楽園より百人余りが引き揚げ入所し、入所者は三百六十人を超えた。この頃、食糧事情の厳しさから入所者の逃走帰省が頻発し、軍政府は園出入り口に巡査駐在所を置き、闘争防止のための有刺鉄線を張り巡らした。このことがハンセン病に対する「恐怖をあおり、啓蒙は逆効果を生じた」と創立二十周年記念誌『奄美和光園の歩み』は指摘している。療養環境、治療技術、社会の意識、あらゆる面で入所者が過酷な状況に置かれた時代だった。
 1944(昭和24)年4月の入所者自治会の発足、50年2月の患者全員へのプロミン使用開始、同12月の治療棟完成などを経て、和光園が療養所としての形態を整えていく中、53年8月にらい予防法が改正され、強制隔離が維持・強化されていく。同年12月25日、奄美群島が日本復帰。その後、和光園の管轄が旧厚生省に移り、「本土なみ」を目指し施設整備が進められるが、療養所が真に入所者の社会復帰を支える場となることはなかった。入所者たちは療養所という閉ざされた世界でそれぞれの戦後、復帰後の人生を刻んでいく。


 【中】

根強い偏見の中 「生」を支えたもの  異なる人生の歩み

 「国民」「国益」「公共」…。"大きな"言葉は時に「命」を"顔の見えない"ものに変えてしまう。「入所者」もその一つだろう。社会からの隔離政策、親兄弟との絶縁、いわれなき根強い偏見・差別―。共通の過酷な体験を心に刻むハンセン病国立療養所の入所者たちだが、その「生」を支えたものは多様であり、一人ひとり異なる人生の歩みを映し出す。
 入所者67人、平均年齢79.0歳(8月8日現在)。戦後60年、奄美和光園の入所者のほとんどが戦争の「記憶」を持つ。
  現在は奄美出身の夫と和光園で暮らすNさんは、隔離収容先の沖縄愛楽園で戦時下を過ごした。当時、小学校低学年。「両手をお姉さんたちに引っ張られ、はしゃぎながら防空ごうに入った。兵隊さんだった人の歌に合わせて踊って『敵に見つかる!』と怒られたり。楽しくやる性格だから、防空ごう生活も苦にならなかった」と話す。
  戦争体験も笑い飛ばす。その天性がNさんの「ハンセン病患者」としての人生を支えてきた。
  愛楽園時代、園の外を歩くと石を投げられたり、唾を吐かれることもあった。園内結婚後、姑からは気に入らないことがあると「らい病の娘はいらん!」と吐き捨てられた。
  「嫌われて当たり前と、全部笑い話に変えてきた」「夜眠るときは涙が出るけど、翌朝目覚めたら、キャッキャッと笑うの」
  持ち前のプラス志向」で自らを支えてきたNさんだが、らい予防法が廃止(1996年)、熊本地裁判決(2001年)で国の隔離政策の誤りが認められた今も、心からの笑顔で暮らせる日々は訪れていない。
  判決後、ハンセン病元患者に国家賠償金が支払われた。それを機に「大金持ち」などと元患者たちを揶揄(やゆ)する事態が起きている。好んで賠償金を手にする人生を歩んだ人はいない。だが「成り行きを知ろうとせず、賠償金のことばかりを指摘する」社会の眼が存在する。「また偏見の時代に戻るのでは」。笑い飛ばせない恐怖感が、Nさんにはある。
  「谷底に突き落とされたような感じ。とてもショックだった」。"男勝り"の活発な女性だったIさんの人生が一転したのは、若者盛り二十八歳のときだった。
  手や足に外傷があったわけではなく「顔に吹き出物が出た」程度、検査的な気持ちで和光園を訪れたところ、即日入所となった。
  「人生これからと思っていた二十代。昼間から一升瓶を担いで園内を歩き、どうにでもなれと、やけ酒を飲んだ」
  園で出会った先輩に諭され、徐々に療養所で生きる決心を固めていったIさんだが、常に頭から離れなかったのが親兄弟、家族の存在だった。
 「自分さえ病気しなければ、顔を上げて堂々と暮らせるのに。『申し訳ない』以外の言葉はない」
  和光園入所後、Iさんは園内で出会った夫と結婚、二女一男をもうけた。園内で子を産めば名瀬市内の乳児院「天使園」へ預けられ、年に数回の面会でも親子が触れ合うことは許されない時代だった。自分の手で抱き育てられない無念さ、「何で産んだのか」と後悔することもあった。それでも「生きて子どもたちを見守らねば」という親としての責任感がIさんの人生を支えた。
  現在は六人の孫に恵まれ、「孫たちと一緒に暮らしたい」との夢がある。娘婿や孫たちも心待ちにしてくれているが、ケガや病気のことを考えると、身近に医療がある園を離れることへの不安がある。園外の病院に通うのは引け目を感じる。
  退所者が保健診療で再入院できる制度の導入が実現すれば、Iさんは社会復帰に踏み切る覚悟でいる。「後ろは振り返らない性格。前を見てまっしぐらに進むだけ。今まで辛い思いをした分、これからは楽しく生きねば」。
  強制収容以来、六十年近い歳月を和光園で暮らしてきたOさんの場合、園で出会った「死後も神とともに永遠に生きる」というカトリックの教えが心の頼りになってきた。いくら長生きしても療養所生活は百年足らず。永遠に比べればちっぽけなものだよ」。今は「これで良かったのかなと思う」と穏やかに語ることができる。
  兄弟で紬荒城を持つ夢に燃えていた矢先に発症、二十年前に入所したYさんは「人として誰とも対等でありたい」との思いが自らを鼓舞してきた。タクシーなど各種運転免許を取得し、いくつもの会社を渡り歩いた。「仕事をし税金を収め、堂々と生きたい」。その思いは賠償金が降りた今も変わらない。
  入所者一人ひとりが療養所生活という限られた環境の中で、それぞれに自分らしい生き方を積み上げてきた。入所者数の減少、高齢化が進み、和光園の将来構想が緊急の課題として叫ばれている。人誰しもがそうであるように、「入所者」にも多様な将来がある。そのことを彼・彼女らの生き様が伝えている。


 【下】

社会復帰阻む見えない壁     変革の時

  和光園は今、入所者の減少と高齢化により変革の時を迎えている。
  名瀬市は2003年に「奄美和光園の将来構想検討委員会」を設置。「生命力」をどのように増進維持していくかを長寿につながるポイントととらえ、長寿の島・奄美群島において「生命力」「生命増進力」およびそのメカニズムの研究を主眼に置いた「国立長寿検証センター」を、和光園の既存施設を利用して併設することを厚生労働省に要望。同省から明確な回答がないものの和光園・前川嘉洋園長は「園の将来はあくまでも入所者の医療・介護の充実が望ましい。国立療養所は縮小・削減の方向性にあり併設案は難しいのではないか」と語る。
  和光園では独自に五年、十年後を見越した施設設備案を入所者に提示。入所者の平均年齢が八十歳を越え、園内に散らばった現状の一般舎では充実した医療・介護が難しいと判断し、住宅を一カ所に集約した老人ホーム的な居住棟案を示した。
  入所者の受け止め方は三者三様だが、Uさんは重い言葉を残した。「将来構想が何を意味しているのかわからないし、十年後の自分がどうなっているのか想像もつかない。今は一日一日を生きるので精いっぱい。ただ、どういう体制になろうとも、ハンセン病患者が最後の一人になるまでしっかりとした医療をしてもらいたい」。
 2001年5月。「らい予防法」に基づく国の隔離政策を断罪した熊本地裁裁判が確定。翌6月には「ハンセン病補償法」が成立し、ハンセン病元患者は社会復帰のスタートラインに立った。
  「社会に出てもハンセン病は嫌われる。偏見の目で見られるくらいなら園の中で平凡に暮らしたい」。Nさんはあきらめたように話す。Nさんのようん、社会復帰を果たしたくても差別や偏見の目を恐れ、第一歩を踏み出せずにいる人も少なくない。多くの元患者が高齢になり「園で一生を終えたい」と望む声も聞こえるが、療養所しか選択の余地がないというのも現実である。
  「ハンセン病補償法」はハンセン病患者、元患者の癒しがたい心身の傷痕の回復、精神的苦痛の慰謝とともに、彼らの名誉の回復と福祉の増進を国の責務とした。これに伴い、療養所入所者を対象とした特別年金支給、福祉政策などの恒久対策が取られた。また療養所退所者に対しても補償金の支給、退所後も療養所での医療が無償で受けられる措置もできた。
  医療・福祉面で元患者を後押ししたものの、長期の隔離政策、園の周囲を取り巻いた有刺鉄線から想像される誤ったイメージを払しょくするのは難しく、社会の理解はなかなか進まない。一度社会復帰を果たしたものの、耐えがたい差別や偏見に遭い、再び入所した人。差別を恐れ、本名を名乗れない人。自分の存在をケスようにして生きている人々の姿から、彼らの社会復帰を阻む見えない壁はいまだに厚いのが見て取れる。国家賠償金が支払われたことによって、元患者が中傷されるなど、社会は新たな差別を生み出す危うさを秘めている。
  幸い和光園では、全国の他の療養所と異なり、元患者と家族や親戚とのつながりが強く、和光園への出入りも頻繁にあった。1983年からは皮膚科を中心とした一般外来診療を実施。診療に訪れる地域住民も多く、地域に開かれた園という印象も強い。
  「ハンセン病訴訟は決着したが、ハンセン病問題が終わったわけではない」…。国の隔離政策を断罪した元患者ら原告弁護団はこう訴えた。国が誤った政策を謝罪した今、黒川温泉(熊本)に宿泊しようとした元患者らが宿泊を拒否されるように、元患者に対する人権侵害が繰り返されているという現実を一人ひとりが直視し、人権意識を強く持つ努力を惜しんではならない。基本的人権を尊重する社会を築くために、私たちに科せられた課題は多い。
(この連載は山中僚、池田亮が担当しました)


平成17年8月15日 大島新聞
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2005年08月17日

精神障害者、回復者の就労をめぐる医療社会学研究!

作日午後から、精神障害者、回復者の就労をめぐる医療社会学的研究の為!近藤功行(研究代表者)沖縄キリスト教学院大学人文学部教授他来園する。今日は先発組みで、江崎一朗(志學館大学法学部助教授)二名が来島する。
共同研究者は全員で六名だが、今回は都合で三名になった。明日・明後日と「明かりの家」に研究の為の来訪する予定!小生も付き合いで行く事になる。

共同研究者名・・安保 英勇(東北大学大学院教育研究科助教授)
        江崎 一朗(志學館大学法学部助教授)
        木ノ上高章(東海大学医学部)
        築瀬  誠(鹿児島大学医学部)
        興古田孝夫(琉球大学医学部)
以上6名の先生方が、平成17年度・平成18年度科学研究費補助金(基盤研究(C)採択に関わる調査研究で来島する!
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2005年08月14日

奄美和光園「60年の記憶」

地元新聞「大島新聞」が、和光園の60年の記憶を取材いたし、八月十三日から、多分上・中・下・の三回に分けて書かれると、思いますが、どれだけの聞き取りが出来たのか?後で紹介いたします。
小生も若干手伝いした手前しっかり読んでみたい!

戦後六十年、二度と戦争の悲劇をくり返さないとの強い決意の下に、平和や一人ひとりの命の尊さを見つめてきた私たちは、一方で「戦後復興」の闇に隠されるようにして“人間性”を奪われた人々の存在に、十分に目を向け、共感し寄り添うことがなかった。
社会から隔離され、誤った国策によって強化された差別や偏見の中を生きて来たハンセン病元患者たち。名瀬市の国立療養所・奄美和光園に暮らす人々の”生、を通して、人が「生きる」ことの一端を見つめる。・・との書き出しで連載で紹介されることになった。

戦争と隔離生活!
過酷な時代の二重苦!!と書かれ、戦前・戦後・今後・未来「将来構想」等を紹介する予定と思う!後日全面を紹介いたします。
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2005年08月12日

和光園第14回夏祭り開催!

昨日園の一番大きなイベント「夏祭り」が行なわれる!
入園者待望の夏祭りが、午後5時30分より開催され、先ずは、前川園長挨拶と来賓代表として、平田名瀬市長挨拶で祭りが始まる!今回も応分の予算で、全てただと言う??
啓発費を使い300人程度の市民が大勢会場に溢れた!
最近は啓発と言う言葉で、多くの市民が集まる。全てビールから焼き鳥とメニューは大分あった。入園者の祭りと、程遠い市民が押し寄せ、祭りを盛り上げたが!誰の為の祭りか?入所者は隅に??

写真は治療棟のスタッフ・副園長他の皆さんです。
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2005年08月10日

本日弁護団帰園!

統一交渉団は(全原協のぞく)、八月九日〜十の二日間の聞き取り終え!弁護団&全療協は本日昼過ぎに全て聞き取り調査いたしそれぞれの職場に帰途致しました。
今回は施設サイドから、先に五年〜一〇年後の和光園の施設整備の青写真を説明する。

それに合わせて八月末の「ハンセン病問題対策協議会」が開催されますので、弁護団が入所者の一人ひとりから、意見聞き取り調査するが、過日の園の聞き取りの回答と異なる意見等が、入所者から多々出ました。特に弁護団からの説明では、現在の園の計画では一ヶ所集中型の整備は管理下において、職員の目に見える範囲内で全て「介護&看護」を考えているようだといい!特に昔の刑務所や特老の施設で、入所者のプライバシー等を考えていない整備計画であると述べた!特に一人ひとりのアイデンティティーを考えていないと説明する。今後どのような形で「統一交渉団」対「厚労省」間で和光園の将来構想問題が協議されるが?真の入所者の声は調査できたのか?明日弁護団のアンケート調査用紙を発信いたします。
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和光園将来構想で統一交渉団来園!

厚労省案「建物集約、規模宿小」と報告!
10日まで入所者の意向調査!

名瀬市の国立療養所・奄美和光園(前川嘉洋園長)の将来構想に関連し、八日、ハンセン病国家賠償訴訟の統一交渉にあたった西日本・瀬戸内・東日本の各弁護団が来園し、三日間の日程で入所者の意向聞き取り調査を開始した。和光園の将来構想については、九月に予定しているハンセン病問題対策協議会の作業部会で厚労省案が初めて示されることになっており、調査は入所者の「声を反映させた対策づくりを目的としている。

 聞き取り調査には弁護団八人のほか、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)から二人、全日本国立医療労動組合の三人が来園した。

 弁護士らは同日午後から不自由者舎と一般者舎の入所者を対象に将来構想問題に関する進行状況を説明し続いて前川園長ら施設側と面談した。入所者への説明会では、弁護団の国宗直子弁護士が「厚労省の将来構想の形が少しずつ見えてきた。管理しやすいよう(居住棟など)建物を一ヶ所に集約し、入所者数に合わせて施設規模を小さくする流れにあるようだ」と報告。「職員や医療の質が低下することが心配。皆さんが最期まで人間らしく誇りを持って生活できるよう、具体的に考える時期に来ている」などと述べた。

 入所者との対話では、前川園長らが入所者に示したという集約居住住棟の整備計画を確認。入所者からは「国立の医療機関としての存続を訴えてきた。重症者の介護施設などを併設してほしい」「自立できる限りは管理下でない。自由な生活がしたい。まずは「一般社会とそん色ない生活」が送れる居住環境を実現するべき」といった意見が寄せられた。

入所者自治会が今年四月から休会状態にあることに関して、全療協の曽我野一美会長は「今後は全療協本部の立場で和光園の将来構想に積極的に働きたい」との姿勢を示した。また、弁護団は自治会がない以上、できるだけ多くの入所者から意見をきくしかない」として、今後も聞き取り調査を継続するとした。
名瀬市などでつくる将来構想検討委員会が昨年七月、厚労省に要望した「国立長壽検証センター」(仮称)併設案については、国宗弁護士は、同省担当官が非公式に非常に難しい」との見通しを示していると述べた。

今日は九日以降は退所者と遺族向けの説明会を開くほか、入所者全員から将来構想への意向を聞き取り調査する。和光園の八月八日現在の入所者数は六十七人、平均年齢は79歳。
と地元新聞大島が伝えた。八月九日(火曜日)朝刊で!!
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和光園(女子)が初V

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(写真提供・南海日日新聞)

奄美祭りの舟こぎ競争での写真です.

和光園カトレアチームは折り返し時点でトップをキープいたし、そのままゴールに向かう力漕のメンバーです。
何というか?たくましい姿である!!
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2005年08月08日

和光園(女子)が初V

名瀬市の奄美まつり三日目は六日、名瀬商港区で舟こぎ競争があり、市内外から二百チーム(一般百四十五,女子・子供会五十五)出場し、熱い戦いを繰り広げた。
注目の決勝は一般が芦徳壮年団・女子・子供会を和光園カトレアが制し、ともにうれしい初優勝を飾った。
 商港区の岸壁には職場や、集落,校区、郷友会などさまざまなテントが張られ、レースのたびに声援が飛び交い、チジンが打ち鳴らされた。一時雨が降ったものの、海面はうねりもなく大会は無事に進行した。
 三百四十三メートルのコースであった予選から好勝負が演じられ、4百メートルとなった一般準決勝、決勝や女子・子供会の部決勝などは白熱したレースを展開した。雄一知名瀬が決勝進出を果たした。

レースには、和光園男女二チームずつが参加したが、残りのチームは日頃の練習の結果は出せなかったが?和光園カトレアチームは近隣の大熊部落の港祭りで優勝いたし、そのままの実力をキープいたし、本番に臨んだ。毎年後一歩で優勝を逃していたが、やっと念願の初Vを勝ち取った!それに園から、バスにて、入所者やら職員多数が応援に行った。
余談になりますが、男子チームもカトレアチームには勝てないと聞かされている。

 先ずは選手一同におめでとう!とエールを送りたい。でも優勝は応援者他色々な形でサーポートいたした、全員の勝利である。
皆様ご苦労様でした。来年は追われる身になったが?連続Vの可能性もあり????
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2005年08月05日

精神障害者共同作業所研究!

本日、沖縄キリスト教学院大学、近藤功行教授他三名の「精神障害者共同作業所研究グループ四名の日程表」が届く!
奄美滞在期間は8月16日〜20日迄、詳しい事は近藤功行教授が来島してから本人と協議いたし、このHPで紹介いたしました。「明かりの家」に連絡するが、すでに本人が手紙で連絡済みで!後は四名が各地域から集合いたし、言動に移す!
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園内見学や花火で交流!

日本キリスト教団奄美地区!
小学生らが奄美和光園で夏期学校

日本キリスト教団奄美地区「青山実地区委員長」主催の夏期学校が三日まで名瀬市の国立療養所・奄美和光園であった。同教団の教会がある名瀬、瀬戸内、喜界の三地区から小学
生十一人と大人スタッフ十三人が参加。園内見学や花火などで交流を深め、夏の思い出づくりを楽しんだ。
夏期学校は四教会の持ち回りで開催いたし、三十年以上続く夏の恒例行事。
青山地区委員長は『みんなで集まって楽しい時間を過ごす中で、教理が少しでも伝わればと話す。
児童たちは一泊二日の日程で和光園に滞在し、園内にある和光伝道所の石原英一さん(七八)の案内で園内を見学したほか、名瀬市内でプール遊びなどを満喫。また、新約聖書「ルカ福音書」十九章に登場する徴税人ザアカイの物語を演劇で披露した。
古仁屋小五年の福田恵利さん(十一)、同三年の鎌田ないるさん(八つ)は「(和光園は)思ったより、広かった。花火ができて楽しかった」と笑顔を見せた。
ハンセン病の理解が特別にテーマとして掲げられてはいなかったが、参加者たちは園内の入浴施設を利用するなど自然な交流が図れた。石原牧師は「夏期学校は和光園に子供の出入りが禁止されたいた時代から続いているが、開かれた社会で交流できるのは良いこと。啓発の一助にもなれば」と話していた。
・・・地元新聞大島が伝える.

写真は先生の指導でゲーム致している子どもたち
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?{奄美地区の夏期学校では、それぞれの各教会からきた子ども達は、新約聖書「ルカによる福音書」代十九章のザアカイの物語を演劇で披露したが!
また子ども達はキリスト教会の大事な教会学校の生徒であるから、聖書の拝読の時間もプログラムで聖書を拝読する時間も与えられた!

写真は聖書を読み上げる日本キリスト教団夏期学校の児童ら!!
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2005年08月03日

奄美地区夏季学校開催!

昨日から本日まで、奄美地区夏季学校が和光園内で行なわれる!

2005年 奄美地区夏季学校が園の多目的ホールで子ども11名大人13名合計24名参加!一昨日は小生休みましたが?2日目もプログラムによって進められた。今回は瀬戸内教会&喜界教会&名瀬教会から子供11名参加いたし、にぎやかな交流の場がもたれた!子供たちには、風呂は施設の一般風呂を使用するように、前日私から牧師に伝えていたので、子供たちも普通の町の一般風呂感覚でシャワー浴び、何の抵抗もなく無事午後3時のお祈りで解散いたした。プログラムでは、「まねいてくださるイエス様」のタイトルで、オリエンテーション他花火&学びとお楽しみ会と、共に各教会か来た子ども達は牧師先生の指導で一箔二日の日程で友達が出来ました。
最後に子供達にには、ハンセン病の知識も必要でなかったのが印象的でした!
posted by Moriyama Kazutaka at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記