「基俊太郎」氏は、奄美和光園の近隣集落の「浦上集落」の出身でした。当時奄美でも、広く名が知れていたと、伺う。何故和光園の納骨堂の設計を?多分詳しいことは調査いたしていないが、当時の園幹部に浦上出身の職員がいたからかなーと憶測で考えている。
それにしても、有名な彫刻家の旧納骨堂一体の整備をと、今日午後から「福祉室長」二名で、旧納骨堂一帯に出向き森田が説明する。近い内園幹部を案内いたし、何かを考える必要?はないのか?と依頼する。
それにしても、「基俊太郎」氏は、何を考え設計したのか、考えたい。やはり「ハンセン病」に深い理解があったのでは?・・・(合掌)
「写真提供・南海日日新聞」

