2005年06月30日

将来構想問題!動く!

本日の「幹部会議」後の前川園長との話し合いは、やはり役者だった!
施設幹部会議「事務長案」を、幹部で承認いたし、私に絶対に文章回答はしないと言う事が決まったみたいだ!
何故そこまで、スクラムを組む程の問題でないが?施設当局は、しっかり新しい芽は、摘む事で「合意」、今後は「和光園と共に歩む会」で、しっかりと、議論の余地が確認できた。
そこで某医師が「和光園」は立ち枯れになるのではと、「本省」の会議でされたとも聞きく?今回の副園長は「本省」から、直・直の役員である。医師ではあるが?バリバリの役員でもある?見極めるのは?全医労組合の仕事ではないだろうか?近いうち「共に歩む会」と、しっかり協議いたし、スクラム組む体制に?
最近の施設の言動を見て何も感じないのか??・・私は、動き出したと見ている。今後はしっかりと「眼」で見て行きたい。
posted by Moriyama Kazutaka at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

幹部会議回答!

本日午後五時一五分から、約一時間園長室に於いて回答を聞く!

過日私から施設当局に「要請書」を出し、今日の幹部会議決定で文章は出さない事を決定し、口頭で園長から説明を受ける。今回は自治会がないので一人で要請書を出しましたが、施設当局は職員の「職員分団表」で、それぞれの、職員が、解るはずであると言ってきました。完全に自治会他会員は施設に飲み込まれている。明日は事務長に会いこれまでの「プロセス」を聞き最後は、担当職員と話し合う事にする。ここまで職員が強く、ガッチリスクラムを組んでいるのが、はっきり致したが、全医労組合は未だ知らない?今後私なりHP発信しかないと、自覚した一日でした。
posted by Moriyama Kazutaka at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月29日

郡山 総一朗氏 写真展・講演会開催!

昨日午後7時から、市内の「中央公民会館」に於いて!郡山総一朗氏の、写真展・講演会が行われた。会場には大勢の市民の姿があった。
小生も知人の医師から電話で、紹介したい人がいるので、7時までに「公民館」に来るように、電話を頂く!なんと相手は「郡山総一朗氏」であった。彼らが2004年4月にイラク取材中に拘束され9日後に解放された。あれ以来「自己責任」の言葉が、日本に広がった。郡山氏と会って、「自己責任」の言葉を出したら、苦笑いいたした。
今回は、彼が「フィリピン・タイ・カンボジア・イラク」等など取材いたし、現実に20分に一人が、地雷の被害を、受けていることなど、スライドを使って講演いたした。

取材を終えて日本に帰るたび、ギャップを思い知らされる。あたりまえのように学校へ通う子どもたち。店には、やはりあたりまえのように様々な娯楽や物があふれている。夜になり暗くなってもスイッチ一つで明るい電気がつく。蛇口をひねれば綺麗に澄んだ水が流れ落ちる。
反面郡山氏が取材した所は、戦争で親を失い今日も生きるために物乞いをしなければならない戦争弧児。難病を持って生まれ、いつ訪れるかもしれない「死」と向き合いながら生きている子。家族と自分の生活のために学校も行けず、毎日ゴミを拾って売りに行く子。
生まれた時から家もなく、学校にも行けない子。毎日のような空爆の恐怖とたたかっている子。占領軍に対して「石」を投げることで抵抗する子・・・

ブラウン管の中で何の罪もない人々が次々と亡くなっていく映像を見ながら、家族で夕食を食べる。その映像はまるで現実でない、「テレビの中だけのできこと」のように感じられる。だがそれは、この地球上で起こっているまぎれもない「現実」であり−「事実」なのだ。私たち一人ひとりが、同じ地球の住人として何ができるか、何をしなければならないのか、考えなければならないことではないか。未来は力をあわせて作っていかなければならないのだから。今この瞬間にも、紛争で命を失う人々、貧困に苦しむ子がいることを、知り、考えることは人間としての責任だと僕は思う!

そしてこの日本にも貧困はある。社会のゆがみがもとで病む人もいる。職場、学校、家族に狂気が宿っていることもある。家族で見るテレビも、家族で過ごす時間も、それが「当然」だと言い切れることができるだろうか。・・

今回の「郡山 総一郎氏」の講演を通して「教育問題・人権問題」の大切さを、改めて感じられた。また写真はぼくの「言葉」、レンズは「眼」だと感じます。
今後彼は「ハンセン病」問題も勉強したいと言われ、知人の医師も加わり記念写真を撮って、帰ってきました。
今後私たちに何ができるか?彼に問いたい!でも知ることも大切である!!
写真は彼が出した「未来って何ですか」の写真集販売とサイン会です。
0000076.jpg
posted by Moriyama Kazutaka at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月26日

奄美地区講壇交換

0000075.jpg
本日8時30分より「和光伝道所に於いて」奄美地区講壇交換がありました。
奄美地区教団は「奄美本島に・名瀬教会・瀬戸内教会」と、島外は「喜界教会・徳之島教会」と4箇所の教会で、それぞれプロテスタントで信仰の交わりを各教会において礼拝が守られている。
本日はゲストとして「瀬戸内教会の三和武夫牧師」が、「説教題・野の花をみよ」「マタイ6章25節〜34節」と短い箇所であったが、日ごろ信仰の浅い小生は、大きな糧を頂いた。説教で話されました中から少し触れてみたい。29節から・・「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
・・中略・・思い悩むな」・・・最後の34節では、だから、明日のことまで思い悩むな、明日のことは明日自らが思い悩む、その日の苦労はその日だけで十分である、と言う説教でした。
三和牧師は、脱サラで「神学校」卒が遅れたが、渋い味のある説教を頂きました。(感謝)

さて、現実に目を向けて見ると!現在一部のリダーによって、奄美和光園の「将来構想」問題が、国・県・市町村まで巻き込み、大きな波となっている。本日の説教ではないが、入所者に「思い悩むな」と、声を大にして伝えたい。最後に私は野の花でなく、道端の、雑草として強く生きたい!!・・一言・・最後にあくまでも、入所者の主権を大切にしてもらいたい。・・弱者にもそれなりの、人権はあると思う!!
posted by Moriyama Kazutaka at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月25日

ゲートボール大会延期!

園と(元自治会)の主催の「ハンセン病を正しくする週間」の今年の大会が「本日開催」される予定が、昨日までの雨と「グランドコンディション」が、悪い理由で延期になった。昨日の凄い雨を見ていたら、主催者側は気をもんだのであろう!昨日午後から早々に延期の放送が流れてた。福祉室は、「参加チーム」に延期の連絡等で、大変だった。大島本島外からも、来るそうです。「職員全員」が、バックアップ?
でも今日は最高のゲートボール日和である。朝から、久し振りに、「太陽」が顔だし、午後には、曇り天気で、雨は降らなかった。でも今回で何も?「ハンセン病を正しく理解する週間」の開催の名目は取れたのでは?それに、梅雨時にしなくても?8月に行ったら良いのでは?
明日・明後日は奄美地方の梅雨明け宣言も出るかもしれない?沖縄では、梅雨明けは、秒読み段階と、マスメディアは伝えている。まだまだ「菊のご紋」は、続くのかなー、最後の一人まで??それに園の三大行事は「ゲートボール大会・夏祭り・敬老会」等がある。他にいろいろと、入って来るが、「職員全員」の参加?この三大行事だけである。
posted by Moriyama Kazutaka at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

副園長履歴!

一昨日施設から「新副園長」の氏名が放送等で、紹介されました。

前任地「厚生労働省・医薬品医療機器総合機構・研究振興審議役」
熊本大学卒「専門分野・内科医」です。
氏名「揚松龍治」で49か50歳です。アゲマツリュウジです。私と同じ名です。名前覚えるのに、年寄りは時間が要るかも?私は口が悪いので、「はげまつ」と呼んでみようか?でも何か舌を噛むような所から来るのは?まー将来の園長であるが、現園長の「前川嘉洋先生」の後輩になる。何か、和光園の「青写真」はすでに稼動していると、取るべきか!現在の園長から「皮膚科」を習ったら、後は外科だけで済む!近くに、「和光整形外科」もあるし、心配はない!まー園として、喉から手の出る程求めていた「内科医」だ、未だ若いので、入所者はじめ、前川園長も、新副園長に期待するところが、大である。七月が楽しみなってきた。でも、前任地が少し気になるのは?私だけで??
posted by Moriyama Kazutaka at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月23日

差別と偏見!!

 今回ある小女の自殺から、差別と偏見を考えたい!
 先ずは、A子さんが、居た地域は当時村を二分するほど大きな問題を、抱えていた。それは、宇検村の「枝手久島」への「石油備蓄基地建設・反対・賛成」と大きく揺れていた。問題はエスカレートし、「愚民会議」に発展し、当時のマスコミを賑わせていた。それに都会から若者が「久志集落」に来島いたし、生活共同体「無我利」道場をつくり、基地建設反対のために、生活共同体を始めた。では、学校の現場と教育関係は、どうであったか?考えたい。先ずは学校で人権教育はいかされていたのか?確か36名の小規模学校(小・中)での事件である。先生方は、A子さんが「いじめにあっている」シグナルをキャッチしていたのか?では「子どもの権利と同和教育」に関して少し触れてみたい。

 同和教育は、日本の典型的な人権侵害である部落差別をなくす為に取り組まれてきた教育です。反差別の教育としての人権教育の担い手として、歴史的にも組織的にも中心的な存在でありつづけてきた同和教育も・・・しかし子どもの権利条約を貫いている子ども観と子どもの権利を保障するための条件をねばり強く追求することによって、同和教育はさまざまな人権教育と結んで大きく飛躍し、文字どおり日本の教育を貫く柱として確立していくに違いありません。
 さて、同和教育は「差別の現実から深く学ぶ」ことを、なによりも大切にして進められてきました。そして差別に負けず、差別を許さない力をもった子どもに育てることをめざして営まれてきました。条約第二条のある「差別の禁止」は、同和教育の中心命題だといえるのです。子どもの人権を徹底して保障すること、自分の生活を語り社会的立場や生き方を明らかにすること、そして部落差別の不当性を仲間に訴えることは、まさに子どもの権利条約に流れている思想「子どもの最高の利益、権利の行使の主体としての意思表明など」と重なります。

 では学校では、教育委員会から「文部行政」の取り組みは、どうであったか?考えさせられる。何故そこまでA子さんを「自殺」に追いこんだのか?「学校の閉鎖性・それを補完」するための管理主義にあるということである。それが理由になるのか?

 例として「ハンセン病」の差別を一例紹介します。1922年3月25・26日に大分県別府市で起こっています。皇族の九州旅行に際し、「日豊線を通る殿下の御目が汚れる」という理由で、*サンカと呼ばれた被差別民の家々(ハンセン病者も含まれていた)を一方的に警察が焼き払ったのです。これを救済しようとした浄土真宗僧侶・篠崎蓮乗が、最終的に犯罪に追い込まれ自殺にいたる、という悲惨な事件でした。この二つの事件を考えるときに、何故そこまで、追いつめられたたか?考える余地は?社会教育における人権教育の現状を、私たちが、十分にとらえ返しながら、各地で取り組んでいく必要が、あるのではないのでしょうか?




 話は変わりますが!奄美和光園の「和光塾」を紹介します。

 今年四月十七日「ハンセン病への理解」を!「和光塾」が開講し、年二回の収穫祭を行うと、マスコミで大々的に宣伝し、全国的に名が知れた!その収穫祭が七月九日園内で行われる。
 マスコミは何故正しいニュースを伝えないか?いかに園全体が取り組んでいるかのように宣伝している。「交流は全国的にも珍しい試みとして、昨年から始まった。農作業が縁で、入所者の家にもお茶に呼ばれたり野菜をもらったりする親子もいると言う。同塾の同市教育課のM生涯学習課長は「偏見・・・本当の交流が生まれつつある」と話している。「開講式」では!!
 では「収穫祭」の「バーベキュー」のプログラムを読んでおどろいた。関係者総数八二名「園内は入所者&職員数二〇名になっている」?何故だ、入所者数六十六名の園に六十二名の関係者が来るのは??またいつものM課長のパフォーマンスか?入所者に垣根はいらないのでは?全ての入所者に声を掛けるる必要はなかったのか?では「生涯学習」とは、いったい、何を学ぶか問いたい。

 「生涯学習としての人権学習」に触れてみたい。人権教育のための国連10年」にも明らかにされていますが、人権教育は、実は生涯学習であります。私たちもそれに基づいて、積極的に生涯学習としての人権教育という立場で推進していく必要がると考えています。国連およびユネスコは、教育を基本的な人権としてとらえています。この生涯教育政策も、人権保障の理念と深く結びついて展開されています。
 ユネスコの「人権教育とは、一人ひとりが人と人、人と自然との関係者を育て、自分を発展し、文化を創造する主体的行為を亭受する営みであって、外から結論を強制されるべきものではない」という指摘があります。そういう立場で、人権教育を生涯教育と位置付け手取り組んでいく原理を考えます。
 「自分さがし」というのは「自己のアィデンティティ」自分が自分であるということを確立することを、人としての尊厳と権利を自覚して、権利と自由についてのさまざまな知識を吸収し、他の人々の経験と豊かな交流をしていく、そしてかえがえのない自分に即した人権認識とその展開や修正が不可欠なものと考えられています。つまり、自分を確立することと人権学習はぴったり結びついていると言う立場ではないでしようか?
 今回「教育委員会生涯学習課」はプログラムを園に押し付けている。それでは真の交流の和?構築されないと思うのは、小生だけでしようか?・・・

---------
*サンカは、「サンカの移住と類似名称」山家・山高・山稼・散家ともいう。山野・山間や水辺の生活の場を持ち、漂白する非農耕民。岩の窪みに住むことから山嵩ともかかれるが、村里近くの河原、雑木林に住み、定住せず、バラバラにいるので散家とも言う・・
posted by Moriyama Kazutaka at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月20日

差別と偏見!!

ハンセン病の差別は、近代の世も続いているが?
明日は「奄美和光園」内の「和光塾」の「収穫祭」を通して、差別と偏見「啓発活動」は、如何にあるか、考えてみたい。
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

教育委員会!

今回「奄美同教」結成25周年記念誌をいただき、目を通してみた!
そこで、ある小女の自殺を紹介します。
1989年2月8日

  「久志小5年生の自殺についての見解」

1988年9月6日、大島郡宇検村久志小学校5年生のA子さんが、「いじめないで」と書いた生活ノートを残して自殺した。
 動物をかわいがり、弟思いであったというこの小女が、幼い生命を自ら絶つに至るまで、どのように悩み苦しんだであろう。
  この事件に対して学校当局は、一人の子どもが生命をかけて突きつけた教育問題を捉え切れず、マスコミには「いじめはなかった。学校と死因は無関係。」と強調して、子どもの命の問題より学校の保身を優先させた。
 ここで明らかにしたいのは、「いじめ」の原因が、能力主義を根底においた教育と規則、外部からの批判をおそれ受けつけようとしない学校の閉塞性、それを補完するための管理主義にあるということである。
 子どもたちは、このような学校に同調することを強いられる。そのはけ口を、成績の悪い子、被差別の立場に置かれた子、転校生などに向け、いじめることで不満の解消をはかろうとする。近世の被差別部落が、農民の自己満足と不満解消の手段と位置づけられたように、「いじめ」は差別と同一である。
 A子さんは、湯湾からの転校生であった。A子さんは、生活共同体「無我利」の子どもと遊ぶため、偏見に満ちた「ヒッピー」という言葉を投げつけられ、「ヒッピーは国際梅毒だからA子にさわると梅毒になる。」「A子と遊ぶと友達がいなくなる。」「学校にくるな。湯湾に帰れ。」と言われていたという。また暴力を振った児童もおり、登下校も一緒にしてもらえなかった。フォークダンスの練習でも手をつながないなど、むごいシカト(無視)をされていたと言う証言もある(南海日日新聞)。子どもたちの追悼文にもいやがらせや「いじめ」の事実が寄せられている。
 孤独に苦しむA子さんが、「無我利」の子ども達に近づいていったのは当然である。そこまで、「いじめ」が増幅されていったのである。児童・生徒数合わせて36人久志小・中学校。小さな村落であるだけに、A子さんは血を吐くような思いであったろう。
 かってこの村は、石油企業の進出計画で大揺れに揺れた。やむなく進出が断念されたあとも、やさしさと潤いのある人間関係の絆を大切にする地域社会が、人間として人間が傷付け合う場に変じたのである。大人達のこういう社会が、子どもたちの人間関係を歪めぬはずがない。
(鹿児島県同和教育研究協議会事務局)
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月19日

合同礼拝!

本日、「和光伝道所&名瀬教会の合同礼拝」を行う!

「聖霊降臨節第6主日礼拝」が、午前10時30分より、名瀬教会信徒16名を迎え「和光伝道所で行われた。従来は「ハンセン病を正しく理解する週間」で、行われていたが、法廃止後に、双方から、特に名瀬教会牧師の「江連実」先生から、和光伝道所の方は「病」は、すでに治っているのに、いつまでも「ハンセン病」を正しく理解の言葉の「垣根」をなくす提案で、直ぐに取り入れられ、平成8年以降に「合同礼拝」と名つけれられた。
それに本日の「説教」は、「本当の癒し」マルコ16章15節〜18節と短い箇所であるが、中身は、それぞれの信徒に、しっかり伝わった!病にもいくつかの病がり、医師の薬で治る病もあるが、また別の病もあるはずだ?例としていくつかのユーモアを、紹介し、説教された。
礼拝後の「愛餐会」には、和光伝道所から、一年の礼をこめて、「昼食」を出した。その後のフリートーキングでは、小泉非難や、弱者が住みにくい世の中になった。それにI・T抵抗組から、活発な意見も飛び出し、場を盛り上げた。愛餐後の最後の祈りで、来年の再会?この梅雨の中、名瀬教会信徒のみなさんありがとうございました。

・・最後に和光伝道所会員は小さい群れですが、「国・園・自治会」の啓発費は支援はいただいていない事を付け加えます。今週は園の行事で「ハンセン病を正しくする週間」で、バカデカイ啓発費、職員全体が、バックアップ体制で「ゲートボール大会」が、行われる。自治会は??いらない??クラブ会員数名の為!!

0000068.jpg
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月17日

副園長決まる!

この度「平成18年度予算要求統一行動」中で「本省」から、説明を受けたと、行動まとめに、出る。それに奄美の件では「6月2日」の作業部会で話し合われたが、外山課長も積極敵に発言をした聞いているので、医師一名(副園長)を送ってくる。
すでに「厚生労働省」では、ハンセン病療所の「将来構想」案は??出来ていると、取るべしかと、考えているのは、小生だけか?何か三年後に、思い切った施設には?・・
でも、正式に施設から、入所者に発表がない!何故か?

話は少し変わりますが、弁護団の退所者の入院制度は、「本省」は「再入所」しかないと考えているようだ、とまとめている。でも、何らかの制度は必要だ!まとめ!それでは沖縄二園の「退所者」入院&一般者の入院制度は?はるかに遠のいて行くのでは?では、奄美支部の五年後のビジョンは何処に??・・国立&普通の病院??法の見直し等は??
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月15日

いつまで?病床数

現在「中央」に、於いて「奄美和光園」の将来構想門問題、先行し「独自の作業部会」が行われている。しかし道程は険しいものがある。

先ずこの夏に「ハンセン病問題対策協議会」が、厚生労動省の「副大臣座長」のもとで開催される。地元和光園自治会は、本部一任・全医労他市議会議員も、全療協を後方から支援と!!地元新聞が、伝えている。また、西日本の弁護団が、5月20日に、来園する。
目的は、作業部会までに、奄美支部会員の「意見集約」。何を?と伺いたい。弁護士の先生の説明では、先ず「退所者」入院制度を、「本省」に認めさせる事!この件については沖縄二園が、その方向で動いている。各園自治会に「将来構想委員会」を設置するように、本部から、支部報等で流れているが、十二園が委員会設置しているかは、調査していない。

では弁護団の説明に帰る。個々で沖縄二園が「退所者」の入院制度の確立を認めさせる。次に「法の見直し」で他の市民も入院制度も「本省」に認めさせる事が、大事な、かつ厳しい問題ですが、それは一夕一朝では無理でしょう?出来る環境の園から進めて行きたいと、説明した。然るならば、和光園の入園者の数もある程度増員すると説明。また療養所のスタッフの数も、ある程度の削減を止める事が出来ると説明。

しかしながら、早くとも2年〜3年の時間はかかると思う。でしたら、園のベッド床はいつまでも、現在の「ベッド」床を維持出来るのであろう?それに入院となると、名瀬市含め医師会等の了解(協議)も必要である。まして3年後に「入院制度」が?その時に入所者の数は?何名でしょうか?この問題が遅れるほど、職員の数も減になり、和光園が、他の十二園の捨石にならいように、各代表に期待したい。
現在の奄美和光園「ベッド」床数・「病棟・・30床・不自由者棟・・73床・・一般者65床・・」合計168床・男性・28名・女性38名・・転院治療2名・・現在数66名です。・・いつまでもベッド床は、「確保」出来るか?また開かれた園には・・程遠いのが、現実である。
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月13日

精神障害者共同作業所

「障害者雇用に理解を」
鹿児島市で推進セミナー・・・・・本県は高水準維持

障害者の雇用促進を推進する為26日、鹿児島市与次郎一丁目のサンロイヤルホテルで「県障害者雇用推進セミナー」が開かれた。志学館大学法学部の近藤功行助教授が講演を行い、ノーマライぜーションを訴えた。
県内の事業所での12年度の障害者の実雇用率は1.98%「障害者雇用促進法」では56人以上の事業所では1.8%の障害市者を雇用することが定められており、全国と比べて高い水準を保っている。雇用した場合には賃金の3分の1〜4分の1が1年ー1年半の間助成される。・・中略・・「全国トップの雇用率を誇っていても、障害者雇用が難しいことだと思われている。このことは、当たり前に障害者が働ける世の中ではないことを反映した結果。そもそも1.8%と言う数値でさえ高くないのでは」と指摘した。・・・「現在障害を持つ人が就職した場合にマンツーマンで付き添って援助するジョブコーチ制度も出きた。身体や知的、精神障害者の雇用を促進する企業が増えてほしい」と話していた。
2002年(平成14年)2月28日(鹿児島新報)が伝える。
これらの視点から、今回「文部科学省」の研究費申請が内定し、平成17年度・平成18年度の研究費が、認めらられたので、「鹿児島・奄美の精神障害者共同作業」他を、研究するために、この夏奄美入りする。小生も手伝う羽目になった。

※近藤功行先生は、現在>「沖縄キリスト教学院大学人文学部英語コミュニケーション学科」教授
http://www.ocjc.ac.jp/faculty/kondo/kondo.htm

同大学で、「ハンセン病医療医学を学ぶ視点」と題し、一般社会人・学生向けの公開講座を開講中です。
http://www.ocjc.ac.jp/gakuin/koukai/05/2005_mae.htm
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月09日

映画「アダン」鑑賞しました

昨日夜の部上映の「映画・アダン」を鑑賞いたしてきました。名瀬では、今月まで一日二回上映いたします。
それで今一観衆は、いなかったです。奄美の人の悪い欠点かなーそれとも曜日が、悪かったのかなー、映画に関しては、良い映画ですが、私などが観て、聞いている。「田中一村」さんではなかった。少し淋しい思いもある。俳優の「榎木孝明」さんの、演技は見事でした。映画のストーリは、東京の画壇で入選落ちいたし、審査委員に意見を言いまして、その以降、自分の「書きたい絵を追って奄美大島に来島いたし、先に「和光園」の園長を尋ねてきたのでありますが?園長か小笠原先生か、はっきりしていないです。小生は小笠原先生と聞いていましたが?「日本復帰50周年記念映画」で、意識してか、和光園の事を、映画に取り入れてないです。一村の変人は、東京にいるときからだったみたいです。それにしても、一村を陰で、支えている、東京のお姉さんには、大分助けて頂いた看たいです。結婚もしないで、支援していたみたいです。やはり「孤高の画家・田中一村」さんは、最後まで、自分の納得のいくまで、奄美の自然を相手に過ごして来ました。生活は質素で、田中一村さんの、絵は「現在も中央で話題に」?現在多くの画家が一村の影響を受ける時代にと?地元新聞に連載されている。いまパソコンの入力中でも、クッカルの泣き声が聞こえる。一村が追い求めて描いた鳥の名前です。是非皆さんも、映画鑑賞を!!
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

精神障害者共同作業所尋ねる!

本日午後から「精神障害者共同作業所」・「明りの家」を訪ねる。私は二度目ですが?(東京行く前)知人の大学の教授と伺った記憶がある。その時は未だ、始めたばかりで手策りくらいのの仕事でした。
所長の「恵川龍一郎氏」は以前京都で、同じ仕事をしていたみたいですが?島に帰り「島の精神障害者」に手をさしのべる人が少ないと言う事で、自宅を作業所にいたし、お母さんと二人で行っていました。
現在は「NPO」法人を立ち上げ十二名の精神障害者の支援を、行っている。現在一日五名〜八名の方々を、送迎いたし、作業を行っている。現在はハウス栽培にも、力をいれている。
それに立派な作業所も出来ているが、最近の不況で仕事が少ないと嘆いていました。
でも、県・市にも、理解頂き、支援援助金のお陰で助かっていると、話された。三年の年月は、見事に大輪(福祉)の花が咲きそうである。今回は私と知人の記者は、遅い昼食を皆で食べました。最後に私事ですが?今回の訪問は知人の「大学の先生」が、この夏から一年掛て、鹿児島県と奄美大島の「精神障害者共同作業所」の研究目的で訪ねた。

現在優秀な指導者が、スタッフの一員として、恵川所長の手となり足となり、一緒に汗を流していた。それも私が知っている人でした。皆さんの汗が太陽で、「キラキラ」と輝いていた。帰りに手作りのきゅうりを頂いて帰った。またの再会を記念いたし、写真を撮ってきました。
また帰りに恵川所長から、「モレ小屋」の話と現場を案内頂きましたが?次回まで調査いたし、紹介したい。モレとは島では乞食と言われ、昔山谷に小屋又防空豪に住んでいた。「ハンセン病他の病」集団が生活しいていた場所である。???・・

 写真の左川の二名目が、恵川所長で、その左が、塩元指導員、右端の長袖は小生です。
0000063.jpg
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月06日

基俊太郎氏

過日南海日日新聞より記載されていた、彫刻家の「基俊太郎」氏を少し追ってみた。

「基俊太郎」氏は、奄美和光園の近隣集落の「浦上集落」の出身でした。当時奄美でも、広く名が知れていたと、伺う。何故和光園の納骨堂の設計を?多分詳しいことは調査いたしていないが、当時の園幹部に浦上出身の職員がいたからかなーと憶測で考えている。
それにしても、有名な彫刻家の旧納骨堂一体の整備をと、今日午後から「福祉室長」二名で、旧納骨堂一帯に出向き森田が説明する。近い内園幹部を案内いたし、何かを考える必要?はないのか?と依頼する。
それにしても、「基俊太郎」氏は、何を考え設計したのか、考えたい。やはり「ハンセン病」に深い理解があったのでは?・・・(合掌)
0000061.jpg
「写真提供・南海日日新聞」
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月05日

主日礼拝!

「聖霊降臨節第4主日礼拝」

本日は月初めで、毎回月に一度「名瀬教会」牧師 江連実先生の担当で、午前8時30分より行われる。「説教」題は、「大司祭の屋敷で」として、江連牧師が説教されました。
聖書のヨハネ18章の12節〜27節のヶ所をテキストとして、話された。和光園の教会は、好善社に代って建立された。現在和光伝道所は、石原英一牧師・治代夫妻にて守られている。石原牧師は、私の療養所の人生の師でもある。
今後ぼつぼつ教会の事も発信しますが?教会のホームページは名瀬教会牧師「江連実」先生が、管理していますので、毎回の説教は名瀬教会のホームページより聞く事ができますので、どうぞ聖書に興味のある方は名瀬教会のHPを開いて下さい。

http://www.geocities.jp/nazechurch/
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

田中一村と奄美和光園

田中一村の住居は、和光園と目と鼻先の民家で、一人創作に励んでいたと、伺う。
小生も一人で近隣の大熊集落の紬工場に通っている。一村さんを観た覚えもあるが、一村先生と和光園は深いつながりがある。先ずは、日本のハンセン病の医師として、有名な、小笠原登先生「真宗住職」の資格を持ち園内で、仏の教えもしていたとも聞かされている。
小笠原登先生は一九五七年(昭和三二年)奄美和光園に就任・その後に現在大島寺の住職のFさん・それに、田中一村先生のアングル関係が始まる。一村先生・F住職は、ハンセン病は、怖くない病気であると、教えを受け、園内に入り込み、入所者の家に上がりこみ、お茶を頂きながら、当時カメラの時代は未だ園?そこで一村先生は、多くの入園者の「肖像画」を描いた。同じくF住職も未だ園までの、道路が悪く、山越えで、園まで来る。三人の先生は、何を話題に、雑談致したかは、未だ健在のF住職に伺ったら、面白い、エピソードも聞かれるかも知れない。ただ残念ながら、昔の一村先生の住居後はない、現在は、近くの集落に移動され、日々観光客が訪れている。さらに小笠原登先生が一九六六年(昭和41年)高血圧?)で倒れ和光園を去る。同所退職(10月)最後に小笠原先生・田中一村先生・F住職は、「ハンセン病」対し全くの偏見と差別は、持ち合わせていなかっただろう?小生も近い内映画鑑賞に行く事にする。今は偉大なる二人の先生に対し、今はただ・・(合掌)                           「奄美群島日本復帰50周年記念映画」
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

映画「アダン」上映

0000058.jpg
一村モデルの映画「アダン」
名瀬で先行上映、観衆満員!
エキストラ出演の市民も

奄美大島で半生を過ごした孤高の画家・田中一村をモデルにした映画「アダン」は四日、全国に先駆け名瀬市の映画館「シネマパニック」で封切られた。
会場には上映を楽しみにしていたファンら満員の観衆が訪れ、奄美を舞台にした映画を堪能した。
映画は奄美に移り住んだ画家・一村と架空の少女アダンとの出会いどを描いたフィクション。県出身の俳優榎木孝明さんが一村役を、オーディションで選ばれた木村文乃さんがアダンを演じている。会場にはエキストラを務めた市民などを含む大勢の市民が訪れ、作品
を鑑賞した。
名瀬市の屋嘉比厚子さん(三九)は一村ファンの息子・寛君(一二)と二時間を超える大作を鑑賞。「息子も楽しんでいた。実際にあった一村のエピソードも盛り込まれてあり、感動した」と親子で笑顔を見せていた。
全国で先行上映は同映画館で七月一日まで一日二回ある(木曜日休館)。奄美大島では五日に瀬戸内町の清水総合体育館で、十二日には宇検村元気の出る館で午後二時から上映がる。
地元新聞「南海日日」が伝える。
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2005年06月03日

基俊太郎氏が死去!

奄美の自然保護運動に先鞭!
名瀬市の国有林・金作原の保護運動を提唱するなどの奄美の自然保護運動に先鞭(せんべん)をつけた同市出身の彫刻家、基俊太郎(もとい・しゅんたろう)氏が二日午後七時五十分、埼玉県秩父郡横瀬町横瀬三四〇三の自宅で亡くなった。八十一歳だった。告別式は四日午後三時半から同横瀬三五三七の東林寺で営まれる。喪主は妻の俊子(としこ)さん。
基氏は一九四二年(大正十三年)生まれ。東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科を卒業後、同科助手として彫刻のかたわら造園、建築、家具の研究を始める。芸大を辞した後に渡米し、ハーバード大学造園科で論文「空間の概念と形式について」発表。(財)禄山
美術館顧問。
六十七年以降、郷土の自然と人文にも関心を持たち、金作原の保護など奄美での主な制作には輸血用の血液輸送で墜落した自衛隊の慰霊碑「くれないの塔」(六十三年、名市)、国立療養所奄美和光園納骨堂(同)、昇曙夢記念公園(七十五年、瀬戸内町)などがある。  
地元新聞(南海日日)が伝える。
本日の南海日日新聞を、読んで、園関係者は、勿論入所者も、そのまま目を通して、読み流したと思うので、一言!
先ずは、小生のホームページの「写真館」を開いて見てもらいたい。そこで、有名な彫刻者作成「納骨堂」の写真と「階段」の写真が、載せてある。小生みたいな素人にも、解る様な「設計」になっているのは、だれか気づいた人はいますか?小生は園内で「保存の価値」ありと書いていますが?施設側の考えは?特に事務部方のAさん、詳しく知っているのでは、他の園では「資料館」設立で予算要求いたしていますが?現在園の自治会は休会中であるが?ただただ傍観し、時間の通り過ぎるのを、待つのですかね?本省の「疾病課」が、調査に来たと、伺っているが?中身は?自治会に知らされているのか?将来どの様な形で、あの歴史的な、一体を?施設幹部は視察する事は、必要だと小生は考える所です。これまでの先人達の霊に対して!!・・
posted by Moriyama Kazutaka at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記